かまどのブログ

人生を惰力だけで乗り切ろう

鬼才の雰囲気が欲しい

長い間「天才」という響きに憧れていましたが、

「僕は天才にはなれない」という事実をそろそろ受け入れようと思います。

 

20年以上生きてきたのに

一向に何らかの才能が開花する気配がない。

 

・ゲーム感覚で政府のネットワークをハッキングする

・講義中、大学教授が説明する理論の欠陥を指摘する

・プロの拳を目で追いながら避ける

・戯れで書いた小説が瞬く間にベストセラーになる

こんなことをサラリとやってのけた後、

チュッパチャップスをくわえながらケロケロッと笑う姿を夢見てきたのに。

 

もう諦めました。

そもそも「天才」って、

なるものじゃなくて、そう生まれてくるものだし。

 

 

しかし、「鬼才」はどうだろう?

鬼才なら頑張れば僕でも名乗れるのではないでしょうか?

 

今の僕を考えてみても

・部屋中に飲みかけのペットボトルが散乱している

・どうせ乾くのだから風呂上がりにドライヤーは使わない

・うんこの話聞きながらでも平常心でカレーが食える

 

鬼才感ありませんか?

これらのエピソードすべて、オルタナティブな感性を表していると言えなくもない。

 

 

・食べきれないことがわかっているのに1品多く注文する

・旅行先の食事はマクドナルドでも構わない

・財布にレシートがパンパンに溜まっても気にしない

 

やっぱり鬼才と言っても過言ではない気がします。

なぜならこれらの行動を僕は無意識にとっているからです。

決して「鬼才ぶりたい」と思っての自己演出ではないのです。

 

 

・気がつくと4時間YouTubeを見ていた

・テレビの音量は5の倍数でないと気が済まない

Suicaに一気に1万円チャージする

 

間違いない。

これは鬼才です。

 

Suicaに万札をチャージするイカれた金銭感覚と

テレビの音量への不気味な執着が裏付けとなりました。

 

やったぞ。

僕は鬼才だ。

 

…何の?